※「都市デザインガイドブック」のせんだいセントラルパーク構想2006の内容を抜粋して掲載しています。書籍購入希望の方はこちら

広瀬川を挟む「見る/見られる」関係

 藩政期、伊達政宗は、仙台城から広瀬川を挟んだ対岸の河岸段丘(中町段丘)上にある大名小路(片平丁)に沿って、重臣の侍屋敷を配置していました。また、青葉山に築城された本丸には、城下を一望できる御懸造(おかけづくり/清水寺のように崖に突き出した建物)を造りました。

 ここに、広瀬川を挟んで城下を見る、仙台城から見られる、つまり「見る/見られる」の関係がありました。藩主と侍の良い緊張関係があったことでしょう。

 しかし、現在は、街から青葉山(仙台城跡)を眺めることができる場所は限られています。また、青葉山(仙台城跡)からの眺めも乱雑に建ったビル群が見えるのみで、「見る/見られる」の関係が意識しづらくなっています。藩政期から受継がれ的な眺めとそれを大切にする想いが薄れてきているのではないでしょうか。


 △創設当初の城下町仙台の中心

 △大坂から大橋・青葉山を望む(街から城を見る軸線)