三陸視察レポート03 〜 本の中の集落「宿」を訪れて(気仙沼市/宮城県)
視察二日目、私たちは気仙沼市唐桑町の集落「宿(しゅく)」に立ち寄りました。
「宿」は、東日本大震災の津波で、62世帯中54世帯の家が流されました。
災害危険区域に指定され、集落は解散することになりました。
宿を訪れるのは初めてでしたが、「更地の向こう側」という本で目にしていました。
集落にお住まいだった方々の記憶を頼りに、震災後、昭和40・50年代、昭和30年代以前と、時代を分けて遡り、絵地図(記憶地図)と文章で記録した一冊です。
今回、本で見ていた集落を実際に訪れることになりました。
車を走らせ、山側から集落に入ります。道路の両側には更地が拡がっています。遠くに港が見えてきます。港まではまだ距離があるのに、家が建ち並んでいない事もあって、見通しが良く、海が近く感じられます。
幾分か高いところに位置している住宅は、津波の被害を逃れ、ぽつぽつと再建しています。
しかし、目線を少し降ろせば、そこに住宅はありません。更地に草が生えて、緑色が拡がっています。かつてこの場所には人が住んでいたのだろうか、この集落では高いところにしか住んでいなかったのではないだろうか、と思ってしまいます。
港には、舟が何艘か泊まっていました。波はとても穏やかでした。かつては時化(しけ)の時に、風待ちをした港だったそうです。
港から後ろ側を向くと、高台に位置する神社「早馬神社」があります。津波が到達した高さを示す看板が設置されています。その高さは15m。神社には当時の様子を示す写真も置かれていました。
本で目にしていたはずでしたが、いざ宿を訪れてみると、津波の様子、更にはかつての人々の生活や景色などに想像を膨らませることは難しく、目の前に拡がっている景色に、ただ立ち尽くしてしまいました。
仙台に戻って来てから本を読み返して、少しずつ消化しています。何度か訪れることで、今の景色と、書籍に記録されているまちの記憶が、結びつけられるのかもしれません。
また、宿を始め、津波の被害に遭い、人が住んではいけないとされる土地は、これからどうなっていくのでしょう。
災害危険区域に指定して自治体が買い取った土地のこれからについては、各自治体で検討がなされているようです。近いうちに、姿を変える土地もきっと出てくるでしょう。
しかし、ただの土地ではなく、かつてそこには暮らしが確かにあったのです。そのことを尊重し、これからを考えることはできないだろうか、と思いました。それはもはや「土地を利用する」という視点からは難しいのかもしれない、とも思いました。
非現実的かも知れませんが、そのままにする、自然に帰す、ということも、選択肢の一つなのかもしれません。
<災害危険区域の指定>
気仙沼市では、L1津波に対応する防潮堤の整備等を実施しても、東日本大震災と同様の津波によるシミュレーションの結果、浸水被害が発生する可能性が高い区域を基本として、災害危険区域を指定しています。
L1津波とは、数十年から百数十年に一度発生する、発生頻度の津波です。人命・資産を保護するための防潮堤等の整備によって防災対策を採ります。
これに対し、最大クラスの津波はL2津波と言います。発生頻度のきわめて低く、避難を中心として、ハード・ソフトの総合的な津波対策を採って対応します。
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1341796894952/
(田川 浩司)