ウォーク・ゼロを開催しました!
水辺の魅力をもっと知って楽しもう!という取り組みとして「広瀬川アーバンアウトドア」と広瀬川沿いのまち歩き「ウォーク・ゼロ」が、2018年7月7日に開催されました。
都市の中でのキャンプやアウトドアを提唱するヒ・グラシさん立案のもと、当法人のまち歩き企画も加わり、実行委員会形式で行われました。ヒ・グラシさんは西公園4WEEKSではパークキャストを担いました。
まち歩き「ウォーク・ゼロ」でガイドした内容をご紹介します。
簡単に言ってしまうとタイトルにある通り、広瀬川のゼロ地点を目指すコースです。ゼロ地点といったら源流と思い浮かべやすいのですが、川の末端がゼロ地点に設定されています(源流では明確な設定が難しい)。広瀬川は名取川に合流しますので、その合流部にゼロ地点が存在し、わかりやすく道路上に大きく“ゼロ”と描かれています。
なぜこの場所で合流するのかというと、前方後円墳と思われる古墳の存在が大きく関係すると考えられます。合流部の写真を見てみると奥手側がこんもりとした丘に。地形図を見ても広瀬川と名取川のY字あたりの標高が高くなっているのがわかります。ただ河川で流れてきた土砂が堆積して今の地形になっている可能性も高いですが。
ここを目指すのですが、その途中には様々なスポットがあります。
広瀬川は全長がおよそ45kmで主要な橋が45本もかかっています。その裏をのぞいて見ると水道や電気なども通っていて、都市のインフラを支える大事な役割を果たしていることがわかります。
我々が交通に用する橋の他にも、ガスや工業用水などインフラのためだけの橋が存在しています。もちろんそのほとんどには立ち入ることはできないのですが、なんと、誰もが渡ることを許された水路橋を今回のルートに入れました。東部道路の近くで若林区六郷日辺と太白区郡山吹上をつないでいます。でもこの夏から3年間は工事のため立ち入れなくなるそうです。。。
広瀬川の河川敷は住宅地付近ではスポーツ広場になっていることが多く、東側に移るにつれ耕作地として使われるようになっていきます。小規模な家庭菜園から出荷されていそうな規模まで。「水はどこからひいてくるのだろうか」「市民農園のような使われ方や植物園のような場所にならないか」「ナスが美味しそう」と様々な感想を持ちながら眺めていました。
この辺りの地域の歴史を見ると右岸には市営競馬場がありました(現在の宮城自動車学校の敷地がその一角を形取っている)。左岸で特徴的なのは、河原町と井戸浜をつなぐ県道のクランクで、その場所で広瀬川もカーブし始め、農業用水が3本も集まり三ツ橋という地名を残すところ。地盤・地質的に何か特徴があるのかもしれません。
ゼロ地点からの帰りには、北目城の痕跡を探しながら歩きました(城の中心付近には現在、ホテルが立地)。青葉城が築城される前、関ヶ原の戦いで白石城を攻め落とした際の政宗公が居城とした城です。その年が1600(センロッヒャクゼロゼロ)年なので、広瀬川ゼロ地点とセットで覚えておくと忘れないですね。
2時間ちょい歩いた今回のまち歩き。広瀬川アーバンアウトドアの会場に戻ると、昼間とは全く違った一面を見せてくれました。「勉強になったしもっと知りたくなった」「政宗公の新しい側面を知った」「広瀬川は場所によって特徴があるので、どんなイベントにも地域を知る企画は相性がいい」といった感想をいただきました。
水害の恐ろしさを意識しながらも、まずは水辺をよく知ってもらうことが大事ではないかと、企画の実施に至りました。堤防上を歩きながら歴史に想いを巡らせながら、これからの在るべき姿にも考えが及んだ七夕の日でした。
<街歩きのコース>
◇参考:広瀬川100選
http://www.hirosegawa-net.com/100sen/sita_000.html
◇参考:六郷を探る会
http://www.sendai-shimincenter.jp/wakabayashi/rokugo/oshirase/page/hmmr2n000001n1y1.html
◇参考:ブログで残そう八本松・郡山の記録
http://hachihonmatsu422.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
http://hachihonmatsu422.blog.fc2.com/blog-entry-16.html